皆さんよく眠れていますか?
このブログでは読んでいただいている方に、
快適な睡眠ができるような情報を提供しています。
◎居眠り文化

初めて日本に来た異邦人が、
まず驚くのは電車やバスで眠る日本人の多さだ。
こう書くのはケンブリッジ大学の准教授で
日本社会を研究してるブリギッテ・シテーガ氏。
ブリギッテ准教授はオーストリア出身で、
現在はイギリスで研究をしている。
つまり生粋のヨーロッパの人である。
実際に日本では居眠りをしている人が多いそうだ。
私は日本人だからもちろん知っているが、
諸外国ではこんなに多くはないとのこと。
電車やバスだけではなく、
授業中、講演中、会議中、さらには国会でも
居眠りというのは普通に行われている。
仕事中や授業中など少なくともヨーロッパでは
怠惰な証拠とされて、常識的には考えられない。
最初にこの光景を見ると、外国人は、
日本人が真面目とは嘘か?
と思うそうだが、それもムベもない。
ではなぜこんなに居眠りが多いのでしょうか?
◎居眠りの理由!

日本人の居眠りが多い理由は2つ考えられる。
1つは睡眠不足、もう1つは治安の問題。
睡眠不足はその名の通り、睡眠時間が足りないのだ。
これこそ日本人が真面目という証拠になる。
寝る間を惜しんで仕事をして、
そして睡眠不足となって居眠りをする。
あまり効率的じゃない気がする(笑)。
もう1つの治安も頷ける。
諸外国で居眠りが少ないのは犯罪の危険が多いから。
犯罪に遭うかもしれないのに暢気に寝ていられない。
日本でも置き引きなどはあるが、
そうたびたび犯罪には遭わない。
逆にそうであるがこそ、居眠りができるのだろう。
日常的な睡眠不足と治安の良さ、
これこそが日本の居眠り文化の根幹なのだ。
◎居眠りの許容!

ところで先のブリギッテ准教授はこう考える。
「居眠りが許容されている」ことが日本の特色だ。
居眠りの許容とはどういうことか?
ブリギッテ准教授によると「居眠り」とは
本来眠ってはいけない社会的状態の時に「眠る」
事実、眠っていい時は「居眠り」とは言わない。
それはそうであろう。
眠ってはいけない時に眠るから「居眠り」だ。
夜、就寝時に布団に入って眠ることを
「居眠り」とは言わない。
つまり「居眠り」とは「眠ってはいけない」のだ。
その眠ってはいけない「授業中」や「仕事中」に
眠るのは問題であるが、日本である程度許容される。
それは「居る」からだ。
「居眠り」とは文字通り、「居ながら眠る」のだ。
つまり会議や授業に「居る」、
=参加していることこそ重要で他は重要ではない。
日本人はオリンピックであるにしても
「参加することに意義がある」
ということをいう。
これを体現しているのが「居眠り」なのだ。
例え眠っていても「参加」していれば、
それで許されるのだ。
西洋の個人主義と違い、
日本の集団主義はこのような部分でも違う。
居眠りは許されない西洋では、個人の責任になるが、
許される日本ではそこに存在するだけで許される。
そこに文化の違いがある。
ただし、これはブリギッテ准教授の説である。
日本人の私からすると、
日本でも居眠りは怒られる。
だから「居ても」許されないのですがね。

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◎居眠り文化

初めて日本に来た異邦人が、
まず驚くのは電車やバスで眠る日本人の多さだ。
こう書くのはケンブリッジ大学の准教授で
日本社会を研究してるブリギッテ・シテーガ氏。
ブリギッテ准教授はオーストリア出身で、
現在はイギリスで研究をしている。
つまり生粋のヨーロッパの人である。
実際に日本では居眠りをしている人が多いそうだ。
私は日本人だからもちろん知っているが、
諸外国ではこんなに多くはないとのこと。
電車やバスだけではなく、
授業中、講演中、会議中、さらには国会でも
居眠りというのは普通に行われている。
仕事中や授業中など少なくともヨーロッパでは
怠惰な証拠とされて、常識的には考えられない。
最初にこの光景を見ると、外国人は、
日本人が真面目とは嘘か?
と思うそうだが、それもムベもない。
ではなぜこんなに居眠りが多いのでしょうか?
◎居眠りの理由!

日本人の居眠りが多い理由は2つ考えられる。
1つは睡眠不足、もう1つは治安の問題。
睡眠不足はその名の通り、睡眠時間が足りないのだ。
これこそ日本人が真面目という証拠になる。
寝る間を惜しんで仕事をして、
そして睡眠不足となって居眠りをする。
あまり効率的じゃない気がする(笑)。
もう1つの治安も頷ける。
諸外国で居眠りが少ないのは犯罪の危険が多いから。
犯罪に遭うかもしれないのに暢気に寝ていられない。
日本でも置き引きなどはあるが、
そうたびたび犯罪には遭わない。
逆にそうであるがこそ、居眠りができるのだろう。
日常的な睡眠不足と治安の良さ、
これこそが日本の居眠り文化の根幹なのだ。
◎居眠りの許容!

ところで先のブリギッテ准教授はこう考える。
「居眠りが許容されている」ことが日本の特色だ。
居眠りの許容とはどういうことか?
ブリギッテ准教授によると「居眠り」とは
本来眠ってはいけない社会的状態の時に「眠る」
事実、眠っていい時は「居眠り」とは言わない。
それはそうであろう。
眠ってはいけない時に眠るから「居眠り」だ。
夜、就寝時に布団に入って眠ることを
「居眠り」とは言わない。
つまり「居眠り」とは「眠ってはいけない」のだ。
その眠ってはいけない「授業中」や「仕事中」に
眠るのは問題であるが、日本である程度許容される。
それは「居る」からだ。
「居眠り」とは文字通り、「居ながら眠る」のだ。
つまり会議や授業に「居る」、
=参加していることこそ重要で他は重要ではない。
日本人はオリンピックであるにしても
「参加することに意義がある」
ということをいう。
これを体現しているのが「居眠り」なのだ。
例え眠っていても「参加」していれば、
それで許されるのだ。
西洋の個人主義と違い、
日本の集団主義はこのような部分でも違う。
居眠りは許されない西洋では、個人の責任になるが、
許される日本ではそこに存在するだけで許される。
そこに文化の違いがある。
ただし、これはブリギッテ准教授の説である。
日本人の私からすると、
日本でも居眠りは怒られる。
だから「居ても」許されないのですがね。
